邦画は本当に稚拙なのか

 『テラフォーマーズ』が予告編からしてダメだとの巷の噂を、公開日が近くなるにつれよく見聞きしているが、それに伴い「だから邦画はダメなんだ」という言が同時に聞こえてくるので、「本当にそうなのか」ということを自己分析するためにしたためたのが、この日記。

 

 

 まず邦画のCGはたしかにお粗末だが、それはCG造形云々の話ではない。描画に関しては高い技術力を披露していると自分は思う。ただ、こと「動き」に関しては閉口せざるをえない。つまりは「簡素なアクションフィギュアのようなCG」。

 

 実写化映画の多くは小説や漫画からのものが多いが、とくに漫画原作の映画に関しては漫画という形式にこだわりすぎて、動きが大味になる問題が発生する。1コマ(=ワンシーン)によって固定化されたイメージから、制作者側が動画イメージに昇華できないのだ。ここに「簡素なアクションフィギュアのようなCG」と自分が呼ぶ最たる理由がある。アクションフィギュアは任意のポーズを取らせることができる人形だが、関節が少なく簡素な造りのものは、格好よいポーズでもぎこちなさや不自然さを感じるものも少なくない。それと同じ感覚を、自分は日本のCGの動きに感じている。

 

 漫画のように「動きのディテール」にあえてこだわる必要のない(1コマに1ポーズあればよい)ものから、映画のようにむしろこだわらなければならない(数コマを通じてようやくひとつの動きを描写する)メディアへと移行するとき、「行間に」いかに詰めるかが重要なスキルになる。

 

 実写よりもアニメのほうが動画水準が高いといわれるのは、現在の動画クリエイターのスキルでは、俳優あるいはCGの動きのディテール水準そのものが低いことと、アニメのほうが一枚一枚丁寧に仕上げられるからというのが大きい。アニメは一枚仕上げればそれでゴーサインが出るものも多く、デジタル化の昨今、修正も利かせやすいが、実写はひとつの動きを描写するにあたって必然的に数コマを要する関係で、動きに少しでも無駄や不自然さがあれば、カットの初めから撮りなおさなくてはならない。そのシーンを撮影するのに必要な条件(舞台設定全般、特に天候などの背景)などを突き詰めれば、本来的に実写映画の制作期間および予算は、アニメ映画の比ではなくなる。

 

 現在の邦画ではCGのみならず俳優の動きも芯がなく、その点で非現実的な動きに思えてしまう。問題の根っこの部分は同じだ。予算の少なさは言わずもがなだが、それ以上に「動きの質」が悪すぎるということだ。2流3流の動きでよいと制作側が考えて、その出来でゴーサインを出してしまう。だからこそ、根っこの問題である予算がすべての問題に通じている。

 

 しかしながら、予算があればよい邦画が作れるのかといったらそういうわけでもなく、邦画に関しては良質な脚本(無茶や破綻のないストーリーテリング)を作れるものがほとんど存在しないため、どれだけ予算や有名監督や俳優陣を集めたところで作品全体の評価にかかわる脚本が目も当てられないものでは、結果として全体に低い評価で見積もられるのは必然となる。

 

 ここまで書いてきたが、邦画は稚拙というよりも、まだ予算と技術力との兼ね合いが成熟していないと考えるのが無難かもしれない。それというのも、邦画であっても映画として十分におもしろい作品はすでに存在しているし、黒澤や小津といった芸術映画が全盛であった時代から、純粋な大衆娯楽としての映画時代は、もしかすると日本ではまだまだ始まったばかりなのではないかと思っているからだ。その段階から現在のハリウッドアクション映画並みの良質な娯楽映画を作れというのは無理があるし、実際、現在の日本の娯楽映画はハリウッド水準にして1980~1990年代あたりの水準なのではないかとすら考えている。

 

 成長の度合いやスピードに大きな差があるからといって「稚拙」と断じてしまうのは、あまりにも判断が自己中心的で、傲慢が過ぎる。娯楽の消費者としての立場のみを堅持するのであればそれでも構わないが、普遍的に映画を愛するものとしては、成長それ自体も楽しみたいところではある。