「ジャンルの定義?」10月4日の連ツイまとめ

純文学だけ「文学」の名を冠するのは、学問体系としての分析が必要だからなんじゃないかなあ。でも現代の日本の人文学ではもっぱら物語の内容分析(つまり事例研究)に終始していて、構成や叙述方法、文体なんかのメタ的な要素にはほとんど注目してないしされてない気がする。

 

これが欧米だとジャンルの枠を超えて、例えば「スリップストリーム」とか「魔術的リアリズム」とかいった叙述方法・文体の特徴で区別されることも多い。絵画芸術界で例えるなら「シュルレアリスム」とか「印象派」みたいな感じなんだろう。

 

それこそ純文学隆盛期の明治大正昭和初期あたりは文体や書き方、あるいは視点の特徴で「白樺派」とか「無頼派」とか派閥が明確に分けられて存在していたから、現代の「おもしろければなにをしてもいい」という文学観とは根本的に異なるといわざるを得ないし、その点で純文学は大衆的とはいえない。


「ジャンルの設定はその小説における最適な読書態度の提供」だと私は思っているから、純文学がジャンルとして成立している以上、純文学は文学的な読み方が最適な読書態度だと思う。だから昔は「気楽に読める」で「ライトノベル」と出版社が売り出したわけだし。


もちろん以前呟いたように読者にそうであることを強要しているわけではないが、例えば、どう読んでもストレートな童話なのにサスペンスものとして提供する出版社も、そのような態度で読書する人もすごく希なのと同じで、もうあまりジャンルカテゴリ問題で論争している場合ではないと思う。


バレンタインのチョコレートみたいに「いつの間にか企業のマーケティングに乗せられていた事例」で消費者が対立し合うのはただただ不毛だ。


ジャンル設定・提供が悪いわけではなく(むしろ私はそれはそれで目当ての作品が探しやすいと思う)、それで対立する読者の浅薄さが問題。純文学以外で物語や叙述方法や文体の妙や巧拙を語り合うのはおもしろいし作品への理解も深まるが、ジャンル論争は単に読書態度の押しつけ合いにしか見えない。