伊藤計劃以後

 日本SFの衰退は間違いなくジョージ・オーウェルやオルダス・ハクスリーに代表されるSF(ソーシャル・フィクション)を蔑ろにして、やれ宇宙船やら、やれロボットやら、やれヒーローやら、やれ超能力やら……といったいわゆるガジェットに傾倒していったことにあると思います。それは、実際の現実に肉薄する作品が極めて少なかったということでもあります。そんなSFを日本で復権させたのが伊藤計劃です。彼はメタル・ギア・ソリッド(MGS)やアメリカ同時多発テロ、以降アメリカで叫ばれてきたテロとの戦争などを通じた「現代の社会と戦争」を通して現代と未来を見ていました。

 

 そういう意味で、仮に伊藤計劃以後を設定して現代日本SFを語るとき、最も伊藤計劃さんに近いSFの描き方をしているのは、『Gene Mapper -full build-』や『オービタル・クラウド』に代表される藤井太洋さんだと思います。ただ注意すべきは、藤井太洋さんはあくまでエンターテイメントを目指しているという点であり、何かしらの状況を追う形で作品を仕上げているわけではないという点です。言わばサスペンス仕立てであり、そこに作者なりの社会に対する問題提起は、厳密にはありません。

 

 日本SFは今まで完全に娯楽でした。というより「完全な娯楽ジャンルとして認知されていた時代が長すぎ」ました。欧米の小説やドラマでは社会的な問題提起を少なからず読者に対し行っています。日本でも「社会派」と呼ばれるカテゴリは読者に対する「語りかけ」を行ってきたことは、2013年に亡くなった山崎豊子さんに代表される作品群に示されています。ただし、山崎豊子さんが取り扱ってきたのは「過去から端を発する現代への問題提起」です。対して伊藤計劃さんは「現代から端を発する未来への問題提起」です。ここが社会派小説とSF(ソーシャル・フィクション)の決定的な違いでもあります。

 

 けれども大衆小説が“一般化”するにつれ、需要は無くなります。需要が無くなるので、そうした堅い小説は誰も書かなくなり、世間に出回る量も少なくなる。複雑で困難な社会情勢のなか、皆がいま、自分が生きている現代にばかり心が向いてしまうので、結果、SF(ソーシャル・フィクション)の読み方がわからなくなる。そして人々は「なんかSFって難しいよね」と囁くようになり、敬遠していく……。

 

 伊藤計劃さんは間違いなくこんな状況に一石を投じてくれたと思います。「おもしろく、かつわかりやすく、読者に対して語りかけを行っているSF(ソーシャル・フィクション)」だと私は思います。多少売り手の意図が介入していることは否めない現状ですが、彼の死の以降を「伊藤計劃以後」と称するのは十分に考慮できるし、困難な社会情勢から、これからの社会情勢を考えるための大きなきっかけになったと思います。それはおそらく、民主主義からヒトラー政権が生まれてしまった経緯を、その時代に生きる市民が、生きながらにして考えるきっかけを与えてくれたようなものだと思います。

 

 しかし同時に、日本SFにとっては、これからまたガジェット類に傾倒したようなSFが跋扈していくことは絶対に避けなくてはいけない、とも思っています。