嫁姑戦争、

 嫁姑戦争というものを一人暮らしで家を出る18歳まで経験していた私ですが、世界での紛争や内戦の再熱で、難民化したり争いに巻き込まれたりして大変な思いをしている方々の気持ちが痛いほどわか(ってい)る(つもりな)ので、最近はそれと併せて、どうして自分がそこまで争い嫌いなのか考えてみたところ、やはり18年間の嫁姑戦争が影響しているのかと思い、考えをまとめてみます。

 

 今まで母から聞いていた話では、私が生まれる前から母と祖母には確執がありまして、ちょっとしたことで怒鳴り合うか雰囲気が悪くなることが多くありました。その中で望まれた性別の私は両者から大事にされたわけですけども、確執のある両者の間で和気藹々と私と接することなんてできるわけもなく、私への態度でしばしば小競り合いもありました。どちらも私のことを良くしてくれていたのはわかっているのですが、それが原因で二人で戦争が開始されてしまうんです。

 

 例えば、母からしたら祖母が私に対してお菓子などくれたりすると、「どうしてお菓子なんてあげるんだ」と祖母と喧嘩しましたし、祖母は祖母で「どうしてお菓子もあげさせられないんだ」と。これだけ見るとどう考えても母が悪いように見えますが、結婚当初の祖母の態度は鬼姑といっても差し支えないものだったらしく、二人がそれで確執を抱くのは仕方のない話だと思います。その中で私の立場が二人の間で揺れ動いているのも仕方のない話でした。

 

 当時でさえ私は彼らの態度がどことなく子供じみているとわかっていて、その中で自分が振り回され、家庭内がときたまとても険悪になるので、どうにかして止めようと子供ながらに両者にはたらきかけたことがあります。でもダメでした。「お前は相手の見方をするのか」とか「あいつは自分に酷いことをしたのだ」と、むしろ私が怒られることもありました。兄弟や父はこの戦争にまったくの無関心で「ほうっておけ」という意識が強かったので、私は戦争の当事者の一人であって無視も極め込めない立場にありました。

 

 言ってしまえば私は「家庭という世界あるいは国」の中で「母というイデオロギー」「祖母というイデオロギー」の暴力的な対立の中、「兄弟・父という無関心な周辺人」に「助けを求めることもできず、逃げることも争いを止めることもできず、たびたび火の粉が降りかかることを覚悟しながら、ただ困難が過ぎるのを耐えるしかない市民」のような立場にいました。しかも、問題の原因が私を巡る場合であったときなど、私が「そんなことは気にしていない」と告げても、彼らは相手の態度が気に入らないので争いを続けます。

 

 そんなことが18年間ありました。末っ子の私が大学入学により一人暮らしで家を出るという出来事を期に、実家では祖母を残して引っ越すという話が持ち上がり、その年の秋に引っ越しました。それで、ここでようやく長く続いた戦争が終結しました。私がいなくなってから急に引越しの話が出るのもおかしいなと思いますけどね。長男は実家暮らしでしたし。

 

 彼らの対立は着地点を見いだせるようなものではもはやなかったし、怒号による罵り合いは言葉による激しい銃撃戦でした。死ぬことはないけども、その戦場にいて神経を大幅にすり減らしていることは明白でした。また、戦場に一歩でも踏み込んで止めようとしてしまえば、流れ弾を受ける可能性もありました。そういうわけで、当事者あるいは被害者として無力過ぎた私は、戦争による当事者あるいは被害者の気持ちを擬似的に経験して、争いが大嫌いになったのだと思います。

 

 無力ゆえに振り回される人の話を聞くだけで号泣してしまって始末に負えないしょうもない人間です。そういう人を見てると自分がどうしようもなく苦しくなってしまうので、最終的に自分のためになってしまいますし、もしかしたらこの経験は現実の血なまぐさいそれと比べるべきではない些細なことなのかもしれませんが、どうにかしたいと強く思っている今の私を形成しているひとつの要因としてまとめてみました。

 

 この日記は以上です。