連続

 自分にとって明らかに「ターニングポイント」だと言える時期が大きく分けて二つあることに気づいています。

 一つ目は2、3歳頃の「窃盗未遂」と、もう一つは2011年3月11日のちょうど一週間前の「3月4日」のことです。

 窃盗未遂というと聞こえは悪いですが、単純にものを盗んだわけではなく、「ものを盗むか盗むまいかの壮絶な葛藤」が繰り広げられていたわけです。「じゃあ窃盗未遂じゃないじゃないか」と思うでしょうが、当然のように2、3歳の子供が自分を客観的に見ることなんてできないでしょう。まして2、3歳の子供に善悪がどういうものかなんてはっきりとは知りえません。そのときの私は明らかに「監視カメラ視点」を心の中に描いていました。つまり、それが自己の意思によるものかどうかにかかわらず、第三者視点を描いていました。「今の自分の心を見透かす第三者」という、「もっとも自己の心に近い位置にいて客観的な他者」が生まれていました。何度かポケットに品物を入れようか入れまいかで悩んだ私ですが、結局「心の中の第三者」がいたおかげで、ものを盗まずに済みました。それで、私はつねに自分の姿が、自分の内面にいる第三者にどういうふうに見えているかを念頭に行動するようになっています。

 で、もうひとつのターニングポイントは「3月4日」ですが、これはあえて詩的な表現を用いると、以前の私が殺された日です。そのことが過ぎたあと、私の心は言いようの知れない虚無感に苛まれ、なぜか食事ものどを通らなくなりました。体感で2週間はそんな感じで、一週間後には例の大震災ですから、内面の処理に大変な苦労を要した時期でした。時間とともになんとか乗り切りましたが、同時に年度末の時期で、個人的にも様々に環境の変化が訪れていた時期でしたから、自分が今まで見ていた世界が一気に崩壊して、更地になったような気分でした。それからもうすぐ3年が経とうとしていますが、以前の自分とはまったく違うのはわかります。以前の自分が明確に残っていると言えるのは、記憶があることと、経験によってなにかしら現在の自分に影響を与えているというのがわかるだけです。それ以外はすべてあの時期に更地になった自分に植えつけられた新しい価値観で構成されています。

 苦しい時期は乗り切りましたが、今までそれを苦しみと感じてこなかったこの心は、今、苦しみを感じることができるものになっています。人間大きな変化はそう訪れないと思いますが、感受性さえ取り戻してしまえば、まるで毎日がバージョンアップの日々のように感じられて、付いていくのが大変です。

 知る前の私にはもう戻れません。それを知ってしまったからには、もう後戻りは許されないということなんです。